Tweet |
茶々丸 |
「百合子、ダスヴィダーニヤ(さようなら)」。
女を愛する女であることを隠さずに生きた、ロシア文学者・湯浅芳子と作家・中條(宮本)百合子。二人の若き日の愛と別れを描いたこの映画、「百合祭」などで知られる浜野佐知監督の最新作です。ベースになったのは、晩年の湯浅芳子に取材した、沢部仁美の同名ノンフィクション。本作では芳子と百合子が出会い、惹かれ合い、百合子が夫との別れを決意するに至る一ヶ月半の濃密な日々を切り取っています。朝十時半からの一回のみという変則的な上映ながら、館内は立ち見も出る盛況ぶり。余韻の残る良い映画でした。力強くて、美しくて、痛くて、何と言ってもエロい。
●女優がエロい
お嬢様育ちの品の良さとエゴイスティックなまでの生命力を併せ持つ百合子役に一十三十一(ひとみとい)。肉感的な唇を強調したメイクが印象的です。少々、可愛らし過ぎる気もしましたが、私が抱いている百合子のイメージは、「隠れ文系小悪魔女子」。姫気質でコケティッシュな百合子像もこれはこれで充分アリでしょう。
クールで凛とした佇まいの裏に繊細さとヒリヒリするような孤独を抱えた芳子を演じたのは菜葉菜(なはな)。「私は映画の中で、二人が向かい合って仕事をするシーンが一番好きなんです。演じているときはそうも思わなかったけど、映画になって観たとき、なんだかすこく泣けちゃった。セイとの別れや、自分の生まれつき(筆者注・芳子言うところの『矛盾だらけの不幸な生まれつき』=同性愛者であること)のことなど、さまざまなことに傷ついて自信を失っていた芳子が、百合子と出会ってエネルギーをもらって一生懸命頑張るようになる。(中略)芳子、本当によかっね!って、感極まる思いがありました。」(パンフレットの対談記事より)芳子という人物への、深い共感と理解が感じられます。芳子を演ったのがこの人で良かった。
百合子の母、葭江役の吉行和子は流石の貫禄、先輩作家・野上弥生子役の洞口依子もいい味出してます。
そして、女優ではないけれど、大杉漣の演じる百合子の夫、荒木が秀逸。沢辺氏の本でも中條百合子の「伸子」でも、オタクっぽくて辛気臭い、魅力に乏しい人間のように描かれていますが、必死さが空回りするトホホ感が何とも言えずユーモラス、しかも最後は変態呼ばわりした芳子にグーで殴られてKOされるオマケつき。ドSにも程があります、浜野監督。
●コトバがエロい
「性愛とは。」「この感情はリーベ(恋愛)かフレンドシップ(友情)か。」 恋愛や性について、文章語で論議しながら互いを把握し距離を詰めていく、大正ガールズトークが炸裂。(※1)
「エッチして云々。」などと言われるより、「性的生活に於ける女性の立場は…。」と硬質な言葉で語りかけられる方が、かえって生々しい身体性が際立ってグっときません?いや、言葉責め好きの私の個人的嗜好かも知れませんが。
●エロシーンがエロい
乳房やヘアを露出した派手な「濡れ場」があるわけではありません。が、そこはピンク映画の巨匠、浜野監督。(※2)キスシーンひとつひとつがねちっこくていやらしい(笑)。
芳子と百合子がはじめて唇を重ねる時の、生硬な言葉に封じ込められた熱情が堰を切って溢れ出すかのような切迫感。そしてラスト近く、互いの想いを確かめ合った二人が、着物を乱しながら愛撫し合うシーン。キスと吐息、指と脚のわずかな動きだけで表現される性愛場面は、とても美しく、官能的です。
さて。
後に百合子は芳子のもとを離れ、共産党員(後に日本共産党書記長)の宮本顕治と結婚するのは読者諸姉もご存知の通り。
二人の破局は、その夜の芳子の予知夢という形で描かれます。
民間女性として初めてソビエト留学に赴く芳子と百合子の晴れがましい笑顔。シーンが変わって、百合子と顕治の関係に気付き、布団にナイフを突き立てて裏切りを責める芳子を、「彼は革命の同士よ。」と、冷たい目で見下ろす百合子。はっと目を覚まし、涙を湛えて呆然とする芳子の表情と、満たされて幸福そうな百合子の寝顔の対比に胸をつかれます。そこに重なる芳子の慟哭を思わせる哀切なエンディングテーマと、ゆっくり流れるエンドロール。切り裂かれた衝撃と、全身にじわじわ広がる痛み。
ああぁぁ…、普段は封印していたトラウマがぁぁぁ。「私はあなたとは違う。まともな人生を送りたい。」と、捨て台詞を残して去っていったH。しばらく連絡が途絶えた後、いきなり金ぴか寿マークの結婚式招待状を送ってきやがったS。私に結婚式の引き出物のテレフォンカード(時代ですね)のデザインを依頼した挙げ句、ブーケを渡しながら「次はあなたが幸せになってね。」とほざいたY。ちくしょおぉぉぉ、貴様ら、呪われろー!!!
…失礼いたしました。「百合ダス」はレズビアンにとって地雷映画でもあります(涙)。
生涯、百合子を愛し続けたといわれる芳子。偏屈で皮肉屋の芳子のこと、「愛の永遠性」などというおためごかしを口にしたら、鼻で笑われるしれません。実際に、何度も手酷い裏切りに遭っている訳ですから。(※3)
それでも、人の心は変わっても、好きでたまらない相手もまた自分のことを好きでいてくれると知った時の奇跡のような瞬間は、美しい結晶として残る。芳子にとって百合子という人、共に過ごした日々はやはり永久保存版の宝石だったのではないでしょうか。
(※1)セリフの多くは二人が交わした書簡が元になっている。
(※2)ご存知の方も多いと思うが、一般映画以外に「女性の側から観た性」をテーマに、延べ300本以上のピンク映画を製作している。
(※3)戦後、百合子が発表した「二つの庭」「道標」では自己正当化の為か、芳子のことをボロクソに書いた。