昨年この本「家族という病」(下重暁子著 幻冬舎新書 2015年 780円+税)を読み、わたしが常日頃考えていることと同じようなことが書かれていて、「そうだ、そうだ」と大いに共感した。2015年3月に出版されたのだが、新書で読みやすいということもあるのだろう、ベストセラー(50万部以上)になり、一年たった今も売れているというのは驚きだ。
著者(1936年生まれ)は、「家族とは何なのか」という問いを自分の家族(父・母・兄&つれあい)との関係をとらえ返しながら、鋭くさぐっていく。下重さんは、自分と家族の関係について、かなり率直に書いていて、勇気があると思った。下重さんのお父さんは、画家志望だったのだが、軍人の家に生まれ、自身も軍人となる。敗戦後、二度と戦争や軍隊はごめんだと言いながら、日本が力をつけ、右傾化するにつれ、かって教育された考え方に戻っていったのだが、そのことを下重さんは許すことできず、父親を避けるようになり、生前背を向けた。
お兄さんは反抗期だった中学生の頃、父と対立し、取っ組み合いになった。殺気を感じて止めに入った母の頬を父が平手打ち、その時の殴打で母の右の鼓膜が破れた。その後間もなく、兄は東京の祖父母のもとに預けられ、家から出た。そしてお母さんについては、「母は私のためなら何でもした。娘のために生きているような人で、あらん限りの愛情を注いでくれるのがうとましく、私はある時期から自分について母には語らなくなった」とのこと。
下重さんは、「家族を固定観念でとらえる必要はない。家とはこういうものという決まりもない。そこに生きる、自分達が快く生きられる方法をつくり上げていくしかない。」
「問題を抱え、ストレスのもとになる家族よりは、心から通い合える人がそばにいるかどうかが大切なのだ。」
「国は家族を礼賛する。戦時中がそうであったように、家族ごとにまとまってくれると治めやすい。地方創生というかけ声はとりもなおさず、管理しやすい家族を各地につくることに他ならない。」等と書いているが、その通りです。
又、下重さんは、夫のことを外に向かって必ず「つれあい」という言葉を使っているが、ある女性雑誌のインタビューを受けた時に、「主人」という言葉に変えられた体験を書いている。ゲラの段階で「つれあい」に変えてもらったが、担当の編集者は腑に落ちない表情だったという。わたしは「夫」を「主人」と呼ぶことは性差別だと思う。そのことを下重さんが書いていることはうれしい。
家族について、特にネガティブなことについて書くのは、とても勇気がいることだ。下重さんが、あえてそれを書いたことで、説得力が出たと思う。そして「家族賛美」ではなくて、「家族とは何か」を考えてみよう、というこの本が閉塞的な今、ベストセラーになっていることはとても興味深い。
先日ラジオを聞いていたら、下重さんがゲストで出演していた。最近お蕎麦屋でそばを食べていたら、同じ店で食事をしていた初対面の女性から、「この本を読んで救われました」と声をかけられ、うれしかったと言っていた。そう、家族の見えない重圧で苦しんでいる人は沢山いるのだ。下重さん、よくぞこの本を書いてくれましたね!!と言いたい。