戦争とスポーツの戦いには「勝者と敗者」がいることが共通項であるが、根っこは全く違っている。前者はエゴから発した「殺人」行為そのものだが、後者は燃え上がる「命の火」かなと思う。戦争は泥縄の悪夢に、スポーツは希望への綱、そんなふうにみえてきた。日本の「サムライ・ブルー」は何をモチベーションにしているのだろう?ってフト思う。「もてることか?」「最高級の車に乗りたい?」「向上心?」・・・・
イングランド、スペイン敗退、今までのゲームの勝者、経済の勝者が新しい芽に突き上げられているという感じがする。応援していたボスニア・ヘルツェゴビアが敗退。でもここにはどうしてもかなえたい「祖国の平和」という「夢」がある。ブラジルにも「貧困からの脱出」という「夢」がある。
日本のサッカーが一番たくさん持っているカップは「フェアプレイ」賞だ。今回も日本のサポーターが試合観戦の後、応援に使ったブルーのビニール袋でゴミを拾って帰る様子が世界で称賛されているらしい。ここで日本の「夢」とはなんだろう?って思う。
もしそんなに日本の技術が優れているなら、世界の平和、人々の命を守るために役立ててほしいと思う。戦争に加担する技術に「経済」は勢いづいても、魂への栄養源「夢、希望」は宿ることはない。
現安倍政権のヤマタノオロチと言えばいいのか、怪物怨霊的なあり方は現実だ。これをどう受け止めればいいのだろう。むやみに否定すべきでもないのかもしれない。よく話を聞いてあげればいいのだろうか。何に怒っているんだろう、何に恨みを抱いているんだろう?