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22年07月15日

★カミングアウト・ストーリー  Part 3

スノーベリー

久美子とのデート

 

冬休みに家へ帰った時母の目を盗んで久美子に電話した。電話をしようと思うと緊張して胸がどきどき鳴った。彼女の祖父らしき人が初め電話に出て、久美子を大声で呼ぶ声がしてから、しばらくして久美子が出てきた。「はい、もしもし久美子ですけど・・・」「お手紙を差し上げた雪江ですけど・・・」「雪江さん? いつ帰って来たの?」 明るい、嬉しそうな久美子のはずんだ声を聞いて全身から今までの緊張が融けていくのを感じた。

 

その年の暮れも押し迫っていた。汽車は一刻一刻、久美子が乘って来る駅に近づいていた。私の胸は緊張と期待でどきどき音を立てていた。あと二つ目の駅に着いたら久美子が乘って来る。車両は一番後ろと、2日前電話で話した時決めておいた。手に汗をかく。久美子に会うことは18歳の私にとって生まれて初めての他者に対する働きかけであり、自分の気持ちを実践に移す試みであった。そしてそれは私が自分以外の、”女性を好きだと言う女性”に会う最初の試みだった。

 

雪国の中を、雪景色を窓に反射させながらゴトゴトのんびり走る汽車はついに久美子の駅に止まった。窓の外を見るとホームの前方に若い女性が立っていた。久美子だと思った。ドアが開いてその人が汽車に乗るのが見えた。車両の出入り口の方を見た。そこに久美子が静かに微笑んで立った。私はどんな顔をして彼女を迎えたらいいのだろうかと躊躇し続けていて行動が遅かった。久美子は長い黒髪をたらし背がすらっと高く、二年間会わない間に若い美しい女性に変身していた。立ち上がって彼女を座っている席に案内する。何を話したらいいか分からなくて緊張し、顔が火照った。それを見られるのが恥ずかしかった。私が座っていた席に私の読みかけの文庫本が置いてあり、久美子はそれが「野菊の墓」であることを見届けて、「まぁ、純情なのね」と言って微笑んだ。東京での学生生活や彼女の学校の話をして何とか時間を埋めているうちに、あっけなく私達の目的地の駅に着いた。

 

そこは久美子が通っている学校がある町だ。彼女はこの町のことはよく知っている。学校の帰りに友達とあちこちのお店で時間を過ごし、おしゃべりしたり、美味しいものを食べたり、若い娘がすることをして楽しんでいたであろう。喫茶店に入る。久美子に「白い色は恋人の色」というレコードをプレゼントした。当時流行していた歌でベッツイ&クリスというハワイ出身の二人の若い白人女性が、一人はギターを弾き、綺麗なハーモニーで歌っていた。当時日本の流行歌手の中で、デュエットで歌っているグループはいたが、ハーモニーで歌っている歌手はあまりいなかったので(私が知っている限り“ザ・ピーナッツ”と“じゅん&ネネ”くらいだったと思う)彼女等の歌はとても透明感があり、美しく聞こえた。「故郷のあの人の・・・」とか「青空の澄んだ色は初恋の色・・・」などという歌詞が久美子を思わせた。久美子が私の目をじっと食い入るように見つめる。私もそれに答えようとするが、すぐに正視に耐えられなくなり目を逸らせた。久美子は自分で編んだ手編みのレンガ色の長いコートを着ており、やはり自作のニットの帽子を被っていてよく似合っていた。私にお揃いの帽子を編んであげたいと言って私を毛糸屋に連れて行った。私のコートに合う色を二人で探した。それからお昼を食べに行った。信号を渡りながら久美子がふと私の肩に手をかけて導くような動作をすると私の胸は高鳴った。雪がチラついていて私にとっては生まれて初めてのロマンチックなデートとなった。

 

帰りの汽車の中では行きと違ってずっと打ち解けていた。別れ際に久美子が私の手を握り締めて言った。「ずっとこのままここに座っていたい、残念だわ。今日はとても楽しかった。東京へ帰る前にもう一度会いましょうね」自分の感情を表すことを家族以外の他者にほとんどしたことがなかった私には久美子の言葉が素敵で大胆に思えた。こんなことに慣れていない私は言い返すふさわしい言葉が見つからなくて困った。ホームに降りた久美子は私の方を見て、私の姿が見えなくなるまで手を振っていた。せめて久美子の手をもっと強く握り返してあげればよかったと、一人になった汽車の中で悔やみ続けた。汽車から降りてバスに乗って家へ帰った。今日のことを振り返っては興奮し頭はぼーっとしていた。

 

東京へ帰る前にもう一度、今度は私達が行った高校がある町で会った。この町は冬になると都会からのスキー客で活気を浴びる。私達はここでも喫茶店に入った。久美子は編んだ帽子を持ってきてくれた。白とグレイの二つも編んでくれた。「被って見て…」「どうやって被るの?これでいいかしら?」「あっ似合う、よかった!!」話したい事、相手から聞きたいことはたくさんあるはずなのだが、二人ともシャイで会話が弾まない。これから別れ別れになるけれど、文通を通じていい友達になりたいと話し合った。会話という形でコミュニケーションをすることに慣れていない私達は手紙の中でもっと自由に気持ちを表現するようになっていく。喫茶店を梯子した後、駅へ通じる国道沿いを歩いた。雪が降っていて一つの傘に入って歩いた。ふと久美子の腕に手をかけた。こんな風にしてみたかったのだ。体が触れることによって言葉では感じられない種類の親密感を感じた。

 

 文通での交際

 

私達の手紙のやりとりが頻繁に始まっていた。東京へ帰ってからすぐの久美子からの手紙にあの日のことが述懐されていた。「雪江さん、あの時はほんのちょっとだけ私の腕に手を置いてくれましたね。嬉しかった。でもどうしてそのままにしておいてくれなかったのですか?・・・」初めて私から手紙を貰った時の気持ちを書いて来た。「・・・雪江さんという人がどんな人なのかとても知りたいと思いました。今まで同性を好きだと言う人に会ったことが無かったから、あなたを知ることにとても興味がありました・・・」久美子は手紙の中で、自分が好きになった人にはいろいろやってあげたくなり尽くしてしまうこと、私が注意していないとそのうち私の上にどっかり乘って私が身動きとれなくなり重荷になってしまうから気をつけなさいと言って来た。そして私を好きになり始めている自分が怖いとも言った。長い間くすぶっていた女性に対する愛がその発露をみつけて一気に燃え上がった感じがあった。私が女性を好きであるという事実が私の中ではっきり表面化してきていた。久美子は言った。「私は今ある決心をしました。それはもっと真面目に生きようと言うことです。今までは人の気持ちを弄んできました。恋愛はプレイでしか無かったのです‥‥真面目な気持ちであなたが好きです」

 

    手紙によるカミングアウト

 

そろそろ自分のことを姉達に言わないではいられない時期に来ていた。三人の姉と母に宛ててカミングアウトの手紙を書き、春休みに帰郷する時姉に手渡した。内気で口下手な私は直接言うことよりも手紙に書くことを選んだ。内容は、私は女性が好きな女性であること、高校生の頃憧れていた人に手紙を書いて、友達になり付き合っていること、そんな私を温かく見守っていて欲しいというような内容だった。

 

3月初め私は帰郷した。久美子に会いたかった。今では4人の娘が全員東京へ出て両親二人だけになっていたので、両親も私が長い休暇期間に帰ることを期待していた。故郷へ着いた日、夕方久美子から電話があった。学校がある駅で私に似た人がいたとかで、汽車の中で考えていたら心配で家へ着くまで待てなかったと言う。駅の公衆電話からかけているのだそうだ。会う日のこと。「明日は、久美子さんは学校があるから日曜でいいわよ」と言うと「日曜まで待てない。明日会いたい」と久美子。翌日会うことにした。

 

久しぶりに会った久美子。嬉しかった。私の目に彼女は輝いていた。神経がぴりっとして恋をしている者同士が感じ合う電流が二人の間に行き交う。私達は喫茶店に行き、私が東京で買ったプレゼントを渡した。それから食堂に入った。そこで久美子が財布が無いと騒ぎだした。あちこち探しているうちに、ごみ箱の中にあった。他のごみと一緒に捨ててしまったのだ。そそっかしい久美子の一面を見た。

久美子の帰りの汽車を駅のストーブに当たりながら待っていた。私の目を潤んだ輝いた目をしてじっと見る。私はこんなに長く人をみつめることができない。そういえば高校生の頃、久美子は何か人恋しそうに人を見つめる傾向があり私の関心を引いたのだった。久美子との無言のテレパシーの交換の場面場面を私は何度も想起し脳裡に焼き付けていた。彼女を見つめ返しながら「情熱的な人なんだ・・・」と思った。

 

次の日、また久美子から電話があり会いたいとのこと。私はバスに乗って町まで出かけて行った。電話があった時母が言った。「昨日会ったばかりなのにまた会いたいなんて、その人おかしいんじゃない? まるで恋人みたい・・・」私は母の言葉に傷ついたけど言い返す言葉を持たなかった。母は私のカミングアウトの手紙を読んで、私と久美子のことを心配し始めていた。姉達は手紙を読んでどう思っただろうかと気になっていた。 (つづく)

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