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22年10月02日

★カミングアウト・ストーリー Part6

スノーベリー

 若草の会

 

彼が教えてくれたグループは「若草の会」と言って蒲田駅の近くに事務所があった。私とほぼ同年齢の女性が自分の住居を事務所として開放して、たった一人で活動していた。面会に行ったら登録カードに名前、住所、年齢、好きなタイプを書くよう言われた。写真も持ってくるように前もって言われていた。好きなタイプは「男役も女役も無いごく普通の感じの女性。バイセクシャルでも無く誠実な人柄で優しい人」と書いた。会費を少し払った。その会の目的は会員同士の親睦と相手を紹介することだった。会員の中には結婚の強制から逃れるためにゲイの男性と形式結婚をしている人もいるのだそうだ。月一回会合があり、その日に是非出席するように言われた。簡単な自己紹介が載っている会員リストも渡された。この小柄な女性が、日本中に孤立しているレズビアンの人達が出会う場所を作ったことは当時としては画期的なことであり、勇気がいる行為だった。彼女は嘲笑の的になるのも覚悟でマスコミにも出て会の宣伝をしていた。

 

初めての会合に緊張しながら行った。その場の雰囲気が何となく暗くて、男っぽい感じの人が昼間からお酒を飲んでいるのがまず目についた。お酒でも飲まないと知らない人と話ができない様子だった。そこにいると自分も世の中の影に隠れて存在しなければならない日陰者のような気がした。何となく品定めされているような気がしてそこにいることはあまり心地よくなかった。私も他の人をそういう目で見ていた自分に気が付いた。

 

しばらくして相手を紹介されて銀座で会った。相手はOL風の雰囲気だった。エスカレーターに乗っている時、私の身体にちょっとした弾みで触れたり、色気を出してくる人で二、三度会ったが、惹かれる気持ちがなかったので続かなかった。ゲイの男性と形式結婚しているという美容師の女性は車を持っていて、東京近郊の牧場にドライブに連れて行ってもらったこともあった。口伝えで子持ちの既婚者とも知り会った。私と同じ県出身で中学・高校とスポーツをやっていたという、背がすらっと高く学生時代は結構持てただろうと思わせるような風貌の人だったが、結婚生活を続けながら陰で女性と付き合いたくて若草の会に登録していた。そしてアル中の友達とお酒で憂さを晴らしていた。“若草の会”では大した出会いはなかったが、その会しか知らなかったので、何回か通った。

 

何回目かの会合で、今までそこでは会ったことが無いような元気で明るいカップルがチラシを配って宣伝していた。二人は狭い部屋を活発に歩き廻り目立っていた。いかにも活動家というタイプで外に向かってエネルギーを発信していた。「皆さーん、今度リブ新宿センターで日本で初めてレズビアンの人達が集まりミーティングを行います。外国人も来ます。是非参加をお待ちしています」若草の会の人達の社会の日陰者という雰囲気の人たちに比べて、この二人はあっけらかんとしていて明るく、そのミーティングに行って見たいという気持ちにさせた。帰り際「是非来てね。待っています」人懐こい笑顔で言われ「はい、行きます」と答えチラシを貰って帰った。

 

 

リブ新宿センターで

 

リブ新宿センターなどという怖そうな名のついた場所に当日恐る恐る行って見た。ここは私が今まで身近に会ったことも無いような、雄弁な活動家の女性達がいた。人前で話しをすることを恐怖にも感じていた私にとっては、その集まりに出席すること事態が勇気のいることだった。集まったのは全部で10人位だった。ほとんどがジーンズにTシャツというラフな服装をしていた。アメリカ人やニュージーランド人だと言う外国人も二人いた。二人共日本語を多少のアクセントはあり、慣れていない私には聞きづらい時もあったが、上手に話していた。「若草の会」で会った二人もいてほっとした。私は彼女等によって「若草の会」から来たと紹介された。そのカップルは女性運動を通じて他の都市で知り合い最初は遠距離の付き合いだったが、一方が相方のいる東京に移って来たのだそうだ。知っている同士ハグをし合ったりしていて、そこにいる日本人の何人かは外国人のように見えた。外国に住んだことがある人もいた。

 

参加者は円座になって床に座り、疲れると寝転がったりしてミーティングに加わっていた。何人かの人達の会話に出てくる言葉も私には耳慣れない言葉が多かった。女性運動、父権制社会、女性差別、男女平等、差別と闘う、デモ行進、女の共同体、優生保護法など。ずっとリブ運動をしてきて、共同生活をした経験がある人もいた。その人がウーマン・リブ運動の中でもレズビアン差別があるという体験談を話してくれた。彼女はリブ仲間の間でカミング・アウトしていて(当時はこの言葉は無かったが)「私は女が好きなのよ」と大っぴらに名乗っていた。「Aの横には寝ない方がいいよ。襲われるよ」と言った人がいて、彼女は孤立してしまったというのだ。女性解放の志を持って集まった女の集団でも、ことセクシャリティに関して日本はまだ遅れていて、レズビアンは、女であれば誰にでも性的に興味を持つと思われたのだ。(後に、リブ運動の中からレズビアンとして生きる女たちが出てきた。)

 

 

雑誌「すばらしい女たち」

 

ミーティングで決まったことは、日本で初めてのレズビアンたちによる雑誌を作ろうということだった。日本中に散らばって住んでいるレズビアンの人達にアンケートを配って答えてもらい、その集計結果を雑誌に発表することになった。雑誌作りに関わっている私達も書きたい人は記事を書こうということになった。次のミーティングの日が決まり、またその人たちと会うことになった。「若草の会」とは全く違った元気のいい女性達に会って、私は自分がそこに属するのかよく分からなかったが、皆フレンドリーで居心地がよかったのでまた会に行くことにした。この人達といると未来に明るい希望が開けるような気がした。

 

何度かミーティングを重ね、日本で初めてのレズビアンによるレズビアンの為の雑誌、「すばらしい女たち」ができた(1976年11月刊)。私も自分の体験を文章に書いたら、何と私の文章が最初のページに掲載された。文章を書いたことがなかったので筆が進まなかった。私の文章の趣旨は私がレズビアンであることを肯定できたのは女性運動(今ではフェミニズムと言われる)への目覚めからであり、それがなかったら肯定できなかったというようなことだった。今の私だったら、次のように付け加える。「同性に惹かれることは人間が持っている普通の感情であり、同性愛は病気でも倒錯でも変態でも無い。問題なのは人や社会の偏見であり、当事者も自分を肯定し生きていけるようになることが大切である」と。女性が住みやすい社会だったら、女性が結婚しなくても経済的に自立して生きていける社会だったら、シングル・マザーの福祉が保証される社会だったら、レズビアンとして生きることも楽になるはずだ。

 

私は世の中のこと、社会のことをもっと知りたいと思った。もっと自分に自信を持ちたかった。真実を知りたかった。60年代からアメリカのプロテスト・ソング(私はジョーン・バエズのレコードで知った)として歌われていた歌、“We shall overcome”(勝利を我らに)の歌詞にもあるではないか。”The truth will make us free………”(真実こそが私達を自由にしてくれる)

 

雑誌作成中にネットワークが少しづつ広がり、新しい顔ぶれも加わるようになった。その頃カリフォルニアのオークランドにある「フェミニスト・ウィメンズ・ヘルス・センター」でスタッフとして一年近く働き、レズビアンとしてカミングアウトした若林苗子さんが帰って来た。若林さんの話によると、アメリカでは、女の人が行ける安いディスコがサンフランシスコにいっぱいあるそうだ。倉庫みたいなところで音楽をかけて、みんなで踊ったりすることが簡単にできた。その話に触発されたリブ新宿センターの人たちがスナックを借りて「女のパーティ」を始めた。「素晴らしい女たち」の雑誌作りに関わった人とか、リブ新宿センターに関わっている女性たち、セクシャリティに関係なく女性といると楽しいというような人も来るようになってパーティは盛況だった。

 

私は大学生時代「クラシックギター・アンサンブル」のサークルに入っていたことがあったが、当時はベトナム戦争反対運動から世界的に平和運動、学生運動が盛んになり私が行っていた大学もヘルメットを被った学生が拡声器を持って、キャンパスで演説していた。よく大学側がロックアウトをしていたので、授業もサークルも中断して、いつの間にかサークルにも行かなくなっていた。夏休みの長野での合宿は楽しい思い出として残っている。クラシック・ギターはちっとも上達せずに終わってしまった。でもあのグループ練習の時のギター音色の心地よい響きは今も耳に残っている。大学時代、サークルも中途半端に終わり、久美子との付き合いで他の学生たちとの交流もあまり無く学生生活が終わってしまった私にとって、女性だけの空間で運動に関わることは、いい経験だった。学生時代体験できなかったことを今体験しているという感慨があった。母に言われたように私は他の人より一歩、いやそれ以上遅れて青春を生きていた。「でも焦ることは無い、まだ若いのだから」と71歳の私は当時の自分に語りかけている。(つづく)

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