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22年08月29日

★カミングアウト・ストーリー Part 5

スノーベリー

久美子の家と違って私の家は小さいので、高校卒業後家を出ていた私にはもう自分の部屋は無かった。我が家の座敷が久美子を迎える部屋となった。こんな風にして友達を自分の家に連れて来たのは初めてだった。すぐ上の姉は活発な性格で友達が多く中学、高校時代友達を家に連れて来ていたことがあった。近所に住む友達と一夜漬けで朝方まで起きて試験勉強をしていたこともあった。よく知らない姉の友達が家に来ると、恥ずかしがり屋の私は顔を合わせる位で会話に加わらなかった。当時はどこの家も貧しく学校の友達を家に招くような習慣は私が住んでいる地域ではなかった。だから両親にとって私の友達が来てしかも泊まるということは一目置くことだったに違いない。

 

母は久美子のことを「この辺にはちょっといない美人だね」と言って驚いていた。久美子が着ていた手編みのコートを母も編み物をするので(機械編み)上手だと褒めたことも嬉しかった。母に負担が掛からないように、この初めての私のお客のために頑張って得意でもない料理をした。お風呂に最初に入ってもらった。湯加減を聞きに風呂場の戸を開けた。ちらっと見た久美子の体が眩しかった。浴槽から久美子は恥ずかしそうな、誘(いざな)うような表情をして私を見た。久美子に寝巻の着物を貸してあげた。姉たちが昔着ていた赤紫の地にオレンジ、ブルー、白の葉の模様が入っている着物は久美子によく似合った。

 

私も湯上りの後、いつもの着物に着替えた。着物姿の久美子はまた一段と魅力的で私はどきどきした。二人で向き合って炬燵に座っていると「さあこれからどうするのか」と思って少し緊張した。「私が男だったら今頃こんなことをしていないのに・・・」と久美子は言い、苦しそうにうつむき瞼を閉じた。その時の表情の美しさを自分でも知っているかのように久美子はそうする癖があった。

 

この緊張感をほぐすために腕相撲をすることを提案した。自然に体を近づけて手に触れ合えるゲームなので楽しい。きゃっきゃっと笑い声を立てていたところに母が襖を開けておやすみの挨拶に来た。後に母がその時のことを書いてきた。「楽しそうに腕相撲をしているあなた達を見てとても仲がよくて羨ましく思いました。結婚したりすると女同士の友情はなかなか続きませんが、いつまでも美しい友情を保ち続けて下さい」言外には友情に留めレズビアンの関係にはならないようにということが含まれていた。

 

布団を二つ離して別々に敷いた。二階に寝ている両親への演技でもあった。私達は別々の布団に入りしばらく静かにしていた。もう今夜しか残された時間はなかった。「そっちに行っていい?」「本当にいいの?」と久美子。久美子の布団に移った後、手を握り合ってしばらく二人共黙っていた。静かな時間が流れた。突然堰を切ったように久美子が私を抱き締めた。息ができない程強く抱きしめた。熱い舌がいきなり滑り込んで来た。高校生の頃お風呂の中でスポンジに湯を染み込ませ、なだらかな波型の面に唇を寄せて夢想していたキスとはずいぶん違った激しいキスだった。私は今まで知らなかった未知の世界へと入って行った。人間の生が輝き、生きることが素晴らしく思える瞬間だった。

 

「初めてよ、こんな気持ち!! 雪江さんのような人、誰だって好きになるわ!」情熱的に久美子が囁いた。「久美子さんのような人こそ男の人はみんな好きになるわ!」久美子の着物の紐を解こうと、もがいた。しばらく苦闘してやっと解けた。彼女の肌に触れた。人の肌の温かさ、優しさを感じた。胸に触れた。形よく豊かな彼女の乳房は胸にコンプレックスを持っていた私には理想的な形に思え魅了された。「大きい」「恥ずかしい」と久美子。久美子が私の着物を脱がしにかかった。私の小さな胸に触り「ごめんね、まだ子供だったのね」私より一歳半年上だけなのに久美子は大人の女が少女を誘惑したような言い方をした。私達はお互いの体を未知の地を探検でもするように触れ合い抱き合い、それ以上のことに進むことに躊躇し、繰り返し私は彼女の唇にキスをした。明け方近くようやく眠っていた。翌朝久美子は唇が痛いと訴えた。

 

 

              新しい始まり

 

東京へ発つ日、久美子が私に手紙を手渡した。「・・・着物姿のあなたを見てとっても可愛いいと思ったのです。自分の気持ちを抑えることができませんでした。私は狼の気持ちを持ってしまいました・・・あなたに触れました。あなたに触れたことによって社会の壁を一つ破った気がします。私達の前にはいろんなことが立ちはだかっていると思いますが、雪江さん、一緒に行きましょう・・・」どこを見廻しても私達の恋愛を奨励してくれるものは何一つなく、邪魔をしようとする社会的圧力ばかりを感じていたが、久美子と手を取り合って私達をとりまく障害を乗り越えて行こう、という一途な気持ちが私の中に生まれていた。久美子に見送られ心残りを感じながら、五月の再会を約束して東京への汽車に乗った。

 

 

            久美子との関係のエピローグ

 

一年後久美子は東京へ出て来たが、私達の恋愛も三年目の終わりを迎えた頃、男の恋人を見つけ突然結婚し遠くの地に行ってしまった。私はバイセクシャルな人がいることを知らなかった。久美子はバイセクシャルだったのだ。私への手紙にこんなことが書いてあった。「雪江さん、あなたは私を乗り越えて行かなければならない人です。私は意地悪をして、あなたが通れないように「通せんぼ」をします。でもいつかあなたは私を通り過ぎて先に進んで行かなければならない人です・・・」のんびり屋の私は久美子が何を意図していたか問い詰めもしなかった。だが東京に出て来て一年以上過ぎた頃か、久美子がダンスのグループに通い始めた時、その意味が分かって来た。いつの間にか久美子に男の恋人ができ、私とのデートをすっぽかし「私は違う道を行くことにしたの」と電話で私に告げた。しばらく泣いて過ごした。一人ぼっちになってしまった。この世でたった一人残されたような気持ちだった。久美子と会わなくなった最初の誕生日、私はやけ酒を飲んでサントリーのダルマ・ウイスキーを一瓶ほとんど飲み、一緒に住んでいた姉が帰ってくる頃には呂律が廻らなくなっていた。1973年の冬、22歳になっていた。その後生き甲斐を見つける為、ある旅行会社が企画した「40日間世界一周貧乏旅行」(ヨーロッパ、アメリカ、ハワイへの旅行)に参加した後、私の仲間探しが始まった。私も社会人になった。

 

 

            他のレズビアンに出会う

 

テレビのある朝番組でレズビアン・バーに勤めている男装をした女性数人がインタビューを受けていた。当時はこういう人達をマスコミは猟奇的に見ていた。「女性を好きだからと言って、私はああいう人達とは違う」「私は男になりたい訳では無い」と思った。男装をした女性がレズビアン・バーで働いているのは知っていた。東京に移って来た久美子と大学生だった私と六本木の「M」というバーに何度か行ったことがあった。孤立していたから私達のような女性がいるところに行って見たかったのだ。他に行く場所を知らなかった。男装をしたホステスが客の注文を聞き、横に座りたばこに火をつけてくれ、世間話をする。「あなた達恋人なの?」「どこで知り合ったの?」「どの位付き合っているの?」「二人共学生なの?」そんなありきたりの質問をされて答えることが嬉しかった。そんな会話ができる第三者がいなかったから。そこには女性客だけで無く、たまには男性客もいて、変わった体験ができるバーとして男装のホステスを売り物にしていた。地方から出て来て一人暮らしをしている、素朴な感じの私と同年齢のホステスもいたし、世間慣れした風のもっとスマートな感じの人もいた。私と久美子にとってそのお店は高すぎたからあまり足を運べなかった。

 

ある時終電車を逃してしまったら、前述の地方出の素朴なホステスが彼女のマンションに私達を泊めてくれることになった。質素だが風呂付トイレ付きのマンションに住んでいた。私や久美子の四畳半のアパートに較べたら上等だった。私がそこで気づいたのだが彼女は下着まで男物を着ていた。私はその店で男装のホステスを特に素敵だとは思わなかった。私がちょっとのぼせたのは、そこでギターを弾きながら歌っていた“純子ちゃん”と呼ばれていた細くて華奢でおしゃれな感じのする若い女性だった。純子ちゃんは、シャンソンの「ろくでなし」やカーペンターズの曲で大ヒットしていた「スーパー・スター」などを上手に歌って恰好よかった。帰る時、純子ちゃんに「もう帰るの?また来てね!!」などと言われるとすごく嬉しかった。「スーパー・スター」を私も弾き語りで練習したりした。しかしある時から純子ちゃんの姿が見えなくなり、店の人に聞いたらしばらく体調を崩して休んでいるとのこと。また別な時聞いたら、今は他のお店で歌っているのだそうだ。「純子ちゃんがお目当てだったのね」と言われた。久美子は男と付き合い始め、私はもう「M」に行きたいとも思わなくなっていた。

 

“薔薇族”というゲイの雑誌があるのは知っていた。書店でよく見かけた。しかしレズビアン向けの雑誌は当時聞いたことが無かった。どうして女性同士の雑誌が売ってないのだろうかと思いつつ、思い切って“薔薇族”を買ってみた。肉体美を誇る男性の裸体や半裸体の写真が掲載されていた。華奢な美少年の写真もあった。文通欄は男性が男性を求めるものがほとんどだったが、「私はゲイですがレズビアンの女性と友達になりたい」と言うメッセージに目が止まった。同性愛者という、ただそれだけの共通点でその人に手紙を出し新宿で会った。小柄のどちらかというと女性的な男性だった。彼は自分が受け(女役)だと言った。男同士が発展場というところで、知らない者同士どういう風にセックスをするかなど、私にはあまり興味も無い話をした後、言った。「僕は女性同士のグループを知っているから教えてあげるよ」そのグループの情報を私にくれた。彼との付き合いはそれっきりになったが、私にとってはこれからの道が開かれる貴重な情報になった。(つづく)

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