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16年10月31日

久しぶりの日本

ウーマンズ・ウィクエンドで楽しかった部分を前回の記事で書かなかったが、ワークショップの合間の空いている時間に初対面の人も加えて昔なじみの友達と何人かでコーヒーを飲みながら、またはお昼や夕食をしながら一緒に過ごした時間はとても楽しく貴重なひと時だった。特にInoさんが私のワークショップに出席する為に、はるばる東京から少し遠い所から駆けつけてくれたことは感激だった。歌のワークショップを主催したこと、四年ぶりの日本だったりして私はハイな気持ちになっていたのか、随分おしゃべりになっていた。グループではあまり話すのが得意ではないのだが、日本語で聞き、話せるということが(特にグループで)何て楽しいんだろうと感じた。今回日本で友達と日本語で自由に話せたことはとても貴重な体験だった。

 

 

アメリカでは地域のOLOC(old lesbians organizing for change)主催のレストランでの夕食会や、ミーティングにもたまに行っていたが、最近は幾つかの原因で足が遠のいている。二年前にシアトルから少し離れた都市に引っ越したこと、私はまだリタイアしてないこと、シアトルの交通がここ十何年か大変悪化し、どこに行くにもラッシュ時は大変渋滞していることなど。それと何十年住んでも言葉のハンディがあり、会話についていけなかったり(特にレストランでの雑音は会話を聞き取りづらい)、また私が話してもアクセントを理解してくれないこともあり、いろいろスムーズに行かないのである。読書会なども、こちらはある程度教養のある人達の間に浸透していてOLOCのグループでも会があるが、英語の本を早く読めない私は参加できない。

 

結局一番自分に心地よいことは、一人音楽をやったり、読書したり、ガーデニングすることである。定期的に他の人達を交えてやっていることは、音楽関係で、月一度のシニア・レズビアンの歌のグループと、これも大体月一度のジャム・セッション(楽器を弾きながら歌う)。中国系アメリカ人の同年齢の女性二人と私との三人のグループで、一人は昔の知り合いで、二年前歌のキャンプでばったり会った。もう一人は初めてそのキャンプで会い、三人共アジア系なのでどこか通じるものがあって一緒に歌うことにした。私がギターで他の二人はウクレレ。少人数なので歌の合間に会話がたくさんある。

 

 

二人とも、早口で、豊富なトピックを次から次へと話すので、会話の時間になると私はついて行くのがやっとという状態になってしまう。どちらもある程度成功したファミリーから来ていて、一人はリタイアしたばかりの医者なので医学用語と薬の名前がしょっちゅう飛び交う。この人は性格がintense(感情が強い)でいつもストレスを抱えており、夫が、あるいは姪が癌になった話を熱っぽく語る。娘が情緒不安定で度々危機に陥ると、母娘の絆は深く、彼女も一緒になって動揺する。こうした話が延々と続く。二人の話をいろいろ聞いて、中国人の倹約精神と、勉強熱と、したたかさと、姪甥の学費の面倒まで見ようとする広い心に関心している。

 

 

今回、姉二人と私と三人で二泊三日のツアーの旅行に行った。私は四人姉妹の末っ子。三女の姉は旅行が好きで友達とツアーを利用してあちこち旅行している。ツアーは値段も比較的安く、ツアー会社がどこにでも連れて行ってくれるので楽で、楽しいから今度私が日本に帰る時は一緒にツアー旅行をしようと前から話していた。姉は若い時はツアー旅行なんて軽蔑していたけど、自分で運転したり、あちこち調べたりするのが年齢とともに億劫になってきて、ツアーの方がよくなって来た。五年前に亡くなった母が生きていた頃は、日本に帰ったら母と主に時間を過ごすようにしていたので姉妹旅行はできなかった。せいぜい姉たちと母を見舞いがてら新潟や近県の群馬を少し旅行する程度だった。

 

 

ツアーでは金沢、東尋坊、白川郷、飛騨高山などを訪れた。ツアーと言っても新幹線で金沢に着いた最初の日は自由行動だった。日本は久しぶりだったし、ツアーは初めてだったのでいろいろ気づくことがあった。貸しきりの部屋でのお昼やホテルでの夕食中など、結構な人数の人がいるのに皆さんとても静かで、話しても小声で話している。バスの中でも静かだった。日本人って行儀が良く、大人しいんだなーと改めて認識した。二日目からバスで廻るツアーになった。姉二人を一緒に座らせ、私は本でも読んでいるからと他のツアーメンバーとの相席を取った。姉達とはいつも一緒に会話をしているからバスの中までつるんでいなくてもいいという気持ちもあった。一日目は赤ちゃんと三歳の女の子を連れた若い夫婦のうちのお父さんが隣に座った。この人はほとんど話しをしないので、私も暇な時間は本を読んだりして過ごした。たまに女の子が父親の膝に座った時、子供相手の会話が少しあった程度だった。次の日はバスの席変えがあり、私の隣は同年輩の女性だった。

 

 

この人がなかなかのおしゃべりで会話が結構続いた。青森県に住んでいて、リタイアしていてツアー旅行が一番の趣味で春にも何回か旅行し、同じ月の九月にも別なツアーで旅行して来たことなど話した。連れ合いはいるのかと聞くと、夫はいるけど一緒にいても会話が無いし、彼女の話もろくに聞いていない。料理は毎日してあげなければならないから、旅行にくるとせいせいする。糖尿病を持っているし、他にも体に痛みがあるので今動けるうちにできるだけ旅行して楽しんでいる。旅行でいろんな人と知り合って話してとても楽しい。楽しくて止められない。でも旅行で会った人達とはその場限りで、電話番号もE-mailも交換しない。そういう旅行の仕方もあるのかと思いながら彼女の話しを聞いていた。

 

 

日本の情報に疎い私だが、何とか話題を持ち出そうとして、青森と言えば、最近佐藤愛子の「血脈」を読んだが、彼女の父親で作家の佐藤紅録(こうろく)が弘前出身だとか、黒柳徹子が戦時中に疎開したとか、寺山修司(自伝を読んだ)も青森だったと思いながら、こちらは口に出さなかった。ショッピングの話もした。四年前に私が日本に来た時に比べて“しまむら”も若者向きの服を売るようになって、安いので今回はズボンを3つも買った話をした。以前は私の日本でのお気に入りはユニクロだった。アメリカでは私は女性の標準体型のサイズからかけ離れていて、特にズボンは婦人服部門ではなかなか見つからない。それで私が買うのはボーイの服である。でも色もデザインもワンパターンなので日本に帰るとよくズボンと他に下着とパジャマを買う。

 

 

通路を隔てて隣に座っていた二女が私達の会話を聞いていた。姉は私が知らない人とべらべらしゃべっていることにまず驚いたようで、隣の人があまりにおしゃべりで私が可愛そうと思ったそうだ。後で、姉が私に、「“しまむら”で買ったことまで話さないでよ。それに声が大きくて、前の席に座っていたカップルはきっと聞いていたわよ」と注意された。この姉はいつも人の世話を焼くタイプで今回の滞在中も私に”落とさないで、忘れないで、持っているわね“などと言い続けた。夫婦関係の考えも三女に比べたらずっと保守的である。

 

バスの中で、その姉のスマホに叔母から電話がかかってきた。母方の女だけの”いとこ会”を二年に一度くらいやっている。私は八年前に一度出席しただけだが、今回私が来日したことを機に集まることになっている。この叔母は私の母と二十歳年が離れていて七十九歳で、年齢的に近いことと、気持ちが若いのでいとこ会に出席している。電話が私にも廻ってきたので、挨拶を交わしていると同じ姉から声を低めるようにというサインが来た。

 

 

日本では声が大きいと姉に注意され、居心地悪い思いをしたのに、シアトルに帰ってきたら、パートナーの声がいやに大きくうるさく感じられた。パートナーは両親共アル中の家で育って、声を張り上げなかったら、彼女の声など押しつぶされ、誰も聞いてくれなかったから、小さい頃からサバイバルの為に大きな声を出すのに慣れている。わずか二週間不在だっただけなのに、彼女の声に慣れるのに少し時間がかかった。今はそれにもまた慣れて、彼女に負けまいと精一杯大声をだして、どなり返している日々である。 (アメリカ在住)

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