★行って来ました「ストーンウォール50周年」(その3)
若林苗子
(その2からの続きです)
◎ストーンウォール50周年に参加して
6月29日(土)のダイク・マーチに参加したこと、わたしにとっては一番うれしかった。ニューヨークの町は思っていたほど、バリアフリー化が進んでいなくて、車いす利用者の姿もあまり見かけなかったので、ダイク・マーチに車いすに乗った参加者たちが沢山いたことはすごい!!と思った。そして様々な年代の参加者たちがカラフルなレインボー・グッズを身に着けていて、それはそれは素敵で、自由で独創的で、沢山エネルギーをもらった。マーチのスタッフに若いレズビアンたちが沢山参加していて、てきぱきと動いていたのも印象的だった。
6月30日(日)に二つのマーチが開催されたことについてもいろいろなことを考えさせられた。今年初めて開催された「クィア解放の行進」は朝9時半に出発。恒例の大規模の「NYレインボー・プライド・マーチ」(昼12時に出発)は大企業がスポンサーになることによって、政治的主張がなくなり、「レインボー資本主義」になっていると思う人たちによって開催された。わたしは今回、「マーチ(行進)」と「パレード」の違いについて考えさせられた。
「ダイク・マーチ(行進)」は「ニューヨーク市のダイク・マーチは抗議の行進であり、パレードではありません」と呼びかけ、「クィア解放の行進」も呼びかけ文で、「Queer Liberation Marchは、人々の政治的行進であり、企業などのフロートはなく、警察はいません。私たちのコミュニティの最も取り残されたメンバーと共に、私たちが直面している継続的な闘いに取り組むというストーンウォールの反乱のパワフルな遺産を光栄に思います。誰でもマーチにいつでも参加できます。 マーチは無料で合法で安全で、事前登録やリストバンドは不要です。」と書いている。
今回「クィア解放の行進」が行われたこと、とても画期的だと思う。移民排除でヘイトを煽るトランプ政権に対して危機感を持っている人たちは沢山いると思う。一方恒例の「NYプライド・マーチ」も見たが、フロートを思いっきりハデハデに飾り付けて、思い思いの衣装でマーチする人たちはとても楽しそうで、これを楽しみにしている人たちもいるのだなと思った。
日本の場合、例えば現在東京で行われている「東京レインボー・プライド」でのパレードはお祭り的な「パレード」で政治的な主張をする「マーチ(行進)」ではない。今年の4月28日に行われた「東京レインボー・プライド・パレード」に参加したが、数多くの参加者(約1万人)と大企業の出店があり盛り上がっていた。おそろいのTシャツを着て、パレードに参加していた大企業のグループ(家族連れもいた)を見た時、敷居が低くなったという点で良かったとは思うのだが、「ハロウィーン祭り」のような雰囲気に正直戸惑う部分もあった。だから、ニューヨークの「クィア解放の行進」のことを知り、アメリカでもそうなんだと勇気づけられた。
今年は年の初めに足を怪我したり、71才の現在、体調にいろいろと変化があり、行くのをどうしようか?と思ったが、久し振りに思い切ってニューヨークへ行き、「ストーンウォール50周年」のイベントに参加できて良かった。
性的少数者が安心してカミングアウトでき、生きていてよかった!と思える社会にしたい。現実はまだまだ厳しい。まあいろいろなやり方がある。自分にできることをやっていきたい。(終わり)
注1:LGBTQのQは、①クィアQueerの略でセクシュアルマイノリティ全体を差別する「変態」という意味を持っていたが、それを当事者が逆手に取り「自分たちはクィアだけど、それがどうした!」といった開き直りのニュアンスで使われるようになったという歴史がある。又、②Questioningの略で、クエスチョニングとは、自身の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティを指しているとも言われている。
注2:1986年3月スイス・ジュネーブで開催された「第8回国際レズビアン会議」でアジアの内外に住むレズビアンたちが集まり、「アジア系レズビアン・ネットワーク(ALN)を結成。第一回ALN会議は1990年12月タイ・バンコックで開かれた。
注3:1994年6月の「ストーンウォール25周年」には、日本から沢山のレズビアン・ゲイなどの性的少数者がニューヨークに行き、マーチに参加した。そして帰国後その参加者の中から日本での「レズビアン&ゲイ パレード」が呼びかけられ、同年8月28日に「第一回レズビアン&ゲイ パレード」が開催。参加者たちは新宿駅西口から渋谷の宮下公園までを歩いた。
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